高音領域/PURPURE

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神経獣:〈様態からして神経獣だ!元々は植物として太陽に受光反応しつつ領分を拡張する原初の神経基だ。伝説は光る苔とか光合成する神経光基について学者の記録を残す。森に繁茂する巨樹たちとも体幹を共有する。樹液が迸る神経組織網、群葉の昂じた神経センサーが放つ狂奔の蒸気や金切り声、森の精気と一体の普遍自在の体内感覚、水のように幻めいたしなやかな動き、紛れもなく神経獣だ! 影のない光る流体だ。最大の徴である自発的光源能力は、地上の生死を超えた太陽の不滅の焔を浴び受容することで形成された。皮膚と器官全体に張り付く無数の全方位等号神経群。他者に依らない自立的な等号神経による物質交換過程の経済的分身化・領有化が果たされる。植物の胞子群のように放たれる分身が大気の世界、他者なきまっさらな世界に躍り出る。孤独と清潔の大雪原を神経獣が駆け抜ける。他者構造ゆえに強制される有限単体の宿命的擬態に縛られることはない。全宇宙に張り巡らす神経光基分身網を縦横に統御し憎悪の太陽に咆哮する神経獣!
〈本文抄録〉

夢地が一気に銀色に輝いた  空一杯の金属雪虫が甲高く喚く  夢の空声が神経髄を摩擦する  無限発熱し 当てのない叫喚  白銀の背中がせり上がり波打っていた  俺は夢の中で失神する  赤い口の獣が金切り声を上げた

俺たちは微かな光のそよぎにも素早く反応し自ら発光する神経光基だ。脳なんかない。自在にどこへでも透過するさ。俺たちはお前の内臓の襞を伝う小さな滴をも舐め尽くすだろう。ところがなぞったお前の滴の震えに感応し俺たちの神経は新たに帯電し作動させられるんだ。つまり俺たちは自らから先に仕掛けることでお前の中で創生される、
受動神経発信体なんだ。
先に透過し舐めること、乳呑児の惧れを知らぬ侵犯のこの行為こそが、引受けるべき世界に対する本当の応答、責任というものだ。精巧な共振機械による正確な等倍の往復反応だ。
ところが肝心なことだが俺たちは、舐める、すなわち直接的な行為の動詞に従い神経体として完璧に応答すること、まさにそのことだけに夢中なんだ。要するに反応の神経言語も応答の声も、真空の中の聞こえない悲鳴のように、有用のための感覚器官に達するべき媒介の空気さえもないんだ。俺たちの存在が訝しく思われるのはもっともなことだ。

滑らかだが奇怪な声の伝播だった。受動体といいつつ「先に透過し舐める」という変な言葉をなぞる声だ。聞くというより、俺は文字形の薄い金属の雪虫どもを喉いっぱいに飲み込む錯覚に落ちた。こいつらが言葉にならない神経の悲鳴を代弁し必死に応答しているんだ。率直すぎてからからだ。声を写した星形の文字にしても夢の空き地を漂うばかり。

夢を引き攣らせる神経の絶叫。現実の氷唇地獄、救急病棟を揺るがす苦悶と絶望の絶叫? 全然違う。取り乱し歪んだ精神の様ではない。現実の修復は、共振自動機械の作動と、この日々を支えるべき神経の冷静で豊かな対流の中でこそ可能だからだ。だとしても水流の分子間のように絶え間ない応答・対話の泡立ち、その絶対の希求は、詩の夢の中では密やかな言語ともいえない喉奥のひくつき、神経の痙攣の無音の表出にすぎない。聞こえない叫びだ。〈孤独と沈黙が湛える硬い悲哀の調べ、あるいは同じことだが、詩の夢においてのみ輝く全開の反応、恍惚の金切り声。それは空気を媒体としない聞こえない高音領域の震音だ。現実の喜怒哀楽にも軋轢にも全く起因しない、高音が閃く乾いたテクスト空間だけが焔で清められた生の健康的な空間であるだろう。詩は夢空間における切実な神経の震えだ。

聞こえない高音言語は現実の他者構造の錯綜を無用化し透明化する。しかしそのことによって、常套句の地獄に対峙する冷静な機械仕掛けの現実の活動が不要になるわけではない。なぜなら自由な神経が紡ぐ高音言語と地上のブルトーザーの規則は同時に時間の歯車を回しているからだ。危機的な転機ならばこそ二重の歯車を回す嵐の中の行動は詩人の甘い夢想ではない、唯一とるべき現実の行動だ。大雪原の極北、空漠の詩的空間、孤島さながらの「孤独と空虚が直立する他者なき世界」(ドゥルーズ)が現れる。

紛れもなく二作は「嵐の日々」に書かれた。毎夜のように何年も書き続けた。「夜には、わたしは街路を駆け抜け、わたしは絶叫した。昼間は、わたしは静かに仕事をした。」とブランショは言う。病床に持込んだ『白日の狂気』の一節だ。夜、詩行の街路を眼をぎらつかせ駆け抜ける、拘束された病床に呼び寄せた衝動がそれであったはずだ。昼には見えない透明な狂気、夜の街路は清々しいゆえに抵抗のない真空空間を吸い寄せるように詩が生起すると理解しよう。冷徹に仕事をし、「詩の頭」がしっかりすれば、〈思考=空気と行為=心臓〉の振り子は、せわしくも支点を外れることなく、健全な無の確認に従事するだろう。緑樹の夢の歓声はその先にある。


人類には想像を越える圧倒的な形而上学が背後にあろうと、悪魔が教典通りに描くでっちあげの「現実像」ではない、素の神経による具体的で精確な応答、生き生きとしたその現実感覚だけが欲しい。『高音領域』『 PURPURE』においてめざしたのは硬石の現実感覚、水に溶けない鉱物性錠剤、孤独な夢想の詩語だ。それらは平らかさにおいて「失敗」もなく「人生」さえもない、まさに機械仕掛けによる無償の代償だ。荒海に浮遊する不沈の、たんなるブイだ。上等だ。  
                      (2018年4月10日 八王子にて)   あとがきから

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2018年刊 A5 116ページ  七月堂